前回に続いてSNS問題について考えてみます。
日本でも丁度、SNSによる誹謗中傷を受けた芸能人が自殺したという痛ましい事件があり、SNS上での言論の自由についてどのように規制するのかというテーマが上がっています。勿論、加害者に対する裁判上の開示請求をもっとやりやすくすることも大切であるし、それらを放置する事業者側への一定の規制も必要にはなるでしょう。但し、それらの規制が巨大プラットフォームへの寡占に繋がるのは昨日書いた通りです。
先日、プロ野球選手のダルビッシュ有がイナゴの大群の写真をあげて「著名人への誹謗中傷はこんな感じ」と説明していました。まさにその通りなのでしょう。
ただ、よく調べてみれば、炎上については、例えばツイッター内だけで盛り上がることはあまりないのです。ツイッターでのプチ炎上のようなものをまとめサイトなどが採り上げ、それを今度は大手のメディアが採り上げ、結局はテレビなどを通じて一気に拡散するということです(国際グローバルコミュニケーションセンターの山口准教授の調査)。結局、消費者ウケの良さそうなネタ探しをしているマスメディアが、安価に視聴率や発行部数を稼げるテーマとして最後の火をつけるという感じでしょうか。ここのメディアの責任は大きいと思います。
このマスメディアの問題は結構根深いと思っていて、つまりはSNSなどのインターネットメディアが出てきてから、マスメディア自体が弱くなってしまったという事が悪循環を生んでいるということです。ワシントンポストはアマゾンのジェフ・ベゾスに個人的に買われてしまったし、フィナンシャル・タイムズは日本経済新聞が買収しました。広告主としてはターゲットのぼやけたマスメディアに広告を出すよりも、よりピンポイントにターゲティングできるソーシャルメディアの方にシフトしているわけで、マスメディアの資金源が枯渇してきていることが、猶更コンテンツの貧困さを加速し、安易なテーマ選択になっていくのだと感じています。
今、SGDsやESGといった観点で企業経営にも「非経済的価値」が多く求められてきていますが、メディアにもまた「非経済的」な多元的価値が必要でしょう。マスメディアにも社会的価値のあるコンテンツはあるとはいえ、やはり短期的な経済価値を追求せざるを得ないのは否めません。それは視聴率や売上のような経済指標が圧倒的に目につきやすいからです。ただ、現在は色々とデータもとれるし視聴者との双方向のやり取りも可能で、そのコンテンツが何に寄与しているのか、環境でも人権でもよいのですが、そういうものを可視化し評価していくことが良質なメディアを支えていく重要なポイントになっていくでしょう。メディア側の行動論理・評価軸が変わらなければ、いくら「べき論」を声高に言っても仕方がない話です。
そこで一つ提案したいのは、ツイッターやFacebookにおいて、サービスをプロリーグ、アマチュアリーグなどに分けて参加者が発言の場を選べるようにしたらどうかということです。環境リーグ、人権リーグなどのテーマごとのフォーラムでも良いでしょう。そのフォーラムによって発言要件を変え(実名/匿名、リプライ自由/許可制など)、それによって信ぴょう性が担保できる形にしていくこと、SNSなどソーシャルネットワークの良さを維持しながら、なおかつ悪貨が良貨を駆逐することにならないよう、多元的な思想が活きる仕組みづくりをしていくことが大切なのではないでしょうか。主要なSNSが数個しかない現状において、発言ルールが1つしかないというのも考えれば不思議な話なのです。
現在のSNSは基本的に自由放任の形態をとってきましたが、残念ながら私たちは「神の見えざる手」でより良い世界に導かれるよりも、ホッブズ的な「万人の万人に対する闘争」的な世界にいきがちです。自分たちで自分たちを敵/味方に分け、社会基盤を壊してしまう存在であるわけで、そこには適切な仕組みづくりが必要です。インターネット上での言論についても仕組みを考える時期にきており、早急な提言が求められます。