最近、植物肉が熱いです。
いや、植物肉だけでなく、培養肉も熱いのですが、とにかく来る人口爆発に伴う食料生産の問題を解決するベンチャー企業が相次いでいます。植物肉を扱うビヨンドミートも昨年5月に上場を果たし、環境問題の盛り上がりもあって引き続き注目を集めています。
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」といったのはフランスのマリーアントワネットとされていますが、これはどうやら誤解のようです。なお、最初にこのフレーズを紹介したのはジャン・ジャック・ルソーの『告白』でした。
Enfin je me rappelai le pis-aller d’une grande princesse à qui l’on disait que les paysans n’avaient pas de pain, et qui répondit : Qu’ils mangent de la brioche.
とうとうある王女が困った挙句に言ったという言葉を思いだした。百姓どもには食べるパンがございません、といわれて、「ではブリオシュ〔パン菓子〕を食べるがいい」と答えたというその言葉である
ジャン・ジャックルソー『告白』
さて、植物肉です。確かに今植物肉はブームですが、本当に「動物を飼えないのだったら、大豆肉を食べればいいじゃない?」という話になるのでしょうか。植物肉は大豆やえんどう豆を原料としますがが、それを踏まえて少し考えてみましょう。
世界の大豆需要は、人口の伸びを上回って増加しており(1970年比人口は約2.5倍であるのに対し、大豆需要は9.3倍)、主に飼料需要(大豆ミール)と食油需要(大豆油)に使われています。世界全体で年間約3億5千万トンの大豆を生産していますが、米国・ブラジル・アルゼンチンの3か国で約80%のシェアを占めるほど生産国が偏っているのが特徴です(米国とブラジル・アルゼンチンは季節が逆で、収穫時期も約半年間ズレています)。消費は中国が最大(約1億トン)で、米国、アルゼンチン、ブラジルが続き、世界全体の8割弱を占めています。世界における大豆輸出は1億5千万トンですが、うち中国が9千万トンを輸入しているわけですから驚きです。
中国は大躍進政策の失敗時に大飢饉に見舞われた経験から、穀物の自給自足についてはかなり神経質です。結果として14億人の胃袋を満たす穀物(米、麦、トウモロコシ)は国産で賄おうとしており、結果として大豆生産については自給自足を諦めるという政策をとってきました。中国の生活水準が上がるにつれて飼料用大豆(大豆ミール)の需要が増大し、結果的に大量の大豆を中国は輸入せざるを得なくなっているのが21世紀に入ってからの現状といえるでしょう。
こうした変化は世界の大豆生産そのものに影響をしています。先に述べた通り、世界の大豆輸出1億5千万トンのうちの約9千万トンを中国が輸入しているというわけで、結果として米国・ブラジル・アルゼンチンの農家は次々と大豆栽培に切り替えていくことになりました。今では全米での大豆生産は小麦を上回っていますし、ブラジル、アルゼンチンでも他の穀物全ての作付面積を越えて大豆が生産されているということです(ある意味で経済的に発生したモノカルチャー経済といってもよいでしょう)。昨今話題になっているブラジルにおけるアマゾン熱帯雨林の消滅についても、結局は土地を大豆生産や牛の放牧に使おうとするものですので、中国が飼料用の大豆輸入を減らす、すなわち豚肉の消費を減らすことをしなければアマゾンの消失は止まらないということになるはずです。中国だけではなく、結局はニーズがあるからアマゾンを燃やすわけですので、食べる側の責任も重大だと言わざるを得ないでしょう(なお、中国人に豚肉を食べるなというのは日本人に魚を食べるなというのと同じですし、アメリカ人にBBQするなというようなものでしょう)。
最近、米中貿易戦争で中国が米国産大豆を輸入するという話があり、関係良化をアピールしていましたが、これは実際上は経済的な理由からに過ぎません。中国は大豆が必要ですし、米国農家は大豆を輸出したいのです。ここにはiPhoneとは別の意味での一方的な生産・消費の関係が成り立っています。
米国の食肉代替食品の普及を目指す団体であるグッドフードインスティチュートによれば、インゲン豆1キログラムを生産する際に使用する環境資源は、牛肉1キログラムを生産するよりも、土地利用は18分の1以下、水は10分の1以下、化石燃料は9分の1以下、肥料は12分の1以下、殺虫剤は10分の1以下で済むそうです。確かにうまくシフトできれば植物肉の方が環境にやさしいことは確かでしょう。ただここで問題になるのは、もし大幅にシフトが進めば、現在の畜産業と農業のどちらも市場が激減しそうだということ、またわざわざ「肉に似せたコピー品」をどこまで消費者が欲するかでしょう(「植物肉を食べるのであれば、大豆をそのまま食べればいいじゃない」)。欧米ではもともと肉業者というのは相対的に高い社会的地位を保ってきましたし、農家も需要減には大きく抵抗します。消費者も明らかにおいしいわけではなく、まだ値段も高い植物肉に対し、どこまで資源を割くか、なかなか難しい問題でしょう。環境保護というグローバルな動きと市場原理、そして文化的背景を考えると、植物肉は肉食の変化の一里塚に過ぎないように思います。最終的には培養肉技術が発達し、工場生産で再生医療的な発想で各肉が大量生産されるようになるのではないでしょうか。次のイノベーションを市場は待っているように思います。