「この人の本を読みなさい。あなたの大学の先輩よ」
私が銀行で法人営業をしていたとき、担当先の1社だったある会社の女性社長に勧められた人がいます。それが安岡正篤先生で、東洋古典を中心としたその内容は、西洋的な学問に漬かってどうも学問に悶々としていた私の心に干天の慈雨のように染みわたり、人生における運命的な出会いとなりました。
その安岡先生が良く紹介する話として、「古教照心、心照古教」というものがあります。ものごとを学ぶ人間にとって示唆に富む内容なので、少しここでも引用しておきましょう。
本の読み方にも二通りあって、一つは同じ読むと言っても、そうかそうかと本から始終受ける読み方です。これは読むのではなくて、読まれるのです。書物が主体で、自分が受け身になっている。こっちが書物から受けるのである、受け取るのである。つまり吸収するのです。自分が客で、書物が主。英語でいえばpassiveです。もっと上品に古典的に言うと「古教照心」の部類に属する。しかしこれだけではまだ受け身で、積極的意味において自分というものの力がない。そういう疑問に逢着して、自分で考え、自分が主になって、今まで読んだものを再び読んでみる。今度は自分の方が本を読むのです。虎関禅師は、「古教照心、心照古教」と言っておるが、誠に考えさせられる、深い力のある言葉です。自分が主体になって、自分の心が書物の方を照らしてゆく。
安岡正篤『活学としての東洋思想』
教師や上司の言っていることを一生懸命メモして覚えたところで劣化コピーでしかありません。そうではなく、それを基に自分の頭で考え、自分で読み込み、自分の意見に練り上げていかなければいけません。その意味で教師というものは触媒に過ぎず、できることといえば相手の心に良い種を植えること、そして良い砥石となって相手と瞬間瞬間に火花を散らしながら磨き上げることでしかなく、要するにサポート役でしかありません。
過去の関連ブログはこちら➡答えを教えることよりも問いを持たせること ~啐啄同時を考える
もちろん、牽強付会に自説に結びつけるような読み方、受け取り方はいけません。「心照古教」の前提に「古教照心」がなくてはいけないのは当然です。しかしそこで分かった気になってはいけないのであって、今度は自分の心がその考えを照らして再解釈し、本当の意味で自分の血肉としなくてはいけません。
戦後、GHQに対して「我々は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」と言って対峙し、「唯一の従順ならざる日本人」といわれたとされる白洲次郎は、戦前に英国ケンブリッジ大学に留学しており目の覚めるような経験をしています。
ケンブリッジは優秀な教授陣で知られている。
その中にはあの有名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズもいた。
恵まれた環境の中で、さまざまな知識を貪欲に吸収していった。
このころ、目の覚めるような経験をしている。
J・J・トムソンという優れた物理学者(電子の発見で有名)のクラスで試験を受けた際のこと。
授業で教わったことを徹底的に復習していた彼はテストの結果に自信を持っていた。
ところが帰ってきた点数を見てがっかりした。
案に相違して低かったのだ。
不満げな顔のまま答案を子細にながめてはっとした。
そこには、
<君の答案には、君自身の考えが一つもない>
と書かれていたのだ。
頭のてっぺんから足先までびりびりっと電流が流れたような気がした。
(これこそオレが中学時代疑問に思っていたことの答えじゃないか!)
痛快な喜びがこみ上げてきた。
テストの成績が悪かったことなどどこへやら、誰彼かまわず握手して回りたい気持ちだった。
(よし、やってやろうじゃないか!)
次の試験では自分の意見を存分に書いて高得点をもらった。
英国で学ぶことの幸せをかみ締めることのできた瞬間だった。
北康利『白洲次郎 占領を背負った男』
同様の経験は欧米に留学した日本人によく見られるものです。こうした原体験を持った人間は、自分の意見の重要性ということに気が付き、それを磨いていきます。
東アジアは科挙の文化があり、どうしても暗記中心の勉強が多くなり、それで良しとしてしまいがちです。しかし、「古教、心を照らし、心、古教を照らす」という気持ちで、一歩先に進んでいきたいものです。