東洋思想

”Oh, East is East, and West is West” ~自分で牛乳を絞るから牝牛をくれ!

英国の詩人ラドヤード・キプリングの有名な詩に「東と西のバラッド」があります。

「東は東、西は西、両者がまみえることは決してない。」

ラドヤード・キプリング「東と西のバラッド」
ラドヤード・キプリング Rudyard Kipling three quarter length portrait ( From Wikimedia Commons, the free media repository )

これはインド人とイギリス将校の息子の間の話ですが、両者が簡単に分かり合えることはないというのは日本と西洋も同じです。

日本でシュバイツァーを紹介したことで有名な竹山道雄(1903-1984)は、欧州旅行での体験をもとに1957年に『ヨーロッパの旅』という本を書いています。そこに、パリでの食生活の違いを書いたシーンがあるのですが、大変面白いので少し引用してみます。

……家庭料理は、日本のレストランのフランス料理とは大分ちがう。あるときは頸で切った雄鷄の頭がそのまま出た。まるで首実検のようだった。トサカがゼラチンで滋養があるのだそうである。あるときは犢(こうし)の面皮が出た。青黒くすきとおった皮に、目があいて鼻がついていた。これもゼラチン。ウサギの丸煮はしきりに出たが、頭が崩れて細い尖った歯がむきだしていた。いくつもの管がついて人工衛星のような形をした羊の心臓もおいしかったし、原子雲のような脳髄もわるくはなかった。……

 あるとき大勢の会食で、血だらけの豚の頭がでたが、さすがにフォークをすすめかねて、私はいった。

 「どうもこういうものは残酷だなあ―――」

 一人のお嬢さんが答えた。

 「あら、だって、牛や豚は人間に食べられるために神様がつくってくださったのだわ」

 幾人かの御婦人たちが、その豚の頭をナイフで切りフォークでつついていた。彼女たちはこういう点での心的抑制はまったくもっていず、私が手もとを躊躇するのをきゃっきゃっと笑っていた。

 「日本人は昔から生物を憐れみました。小鳥くらいなら、頭からかじることはあるけれども」

 こういうと、今度は一せいに怖れといかりの叫びがあがった。

 「まあ、小鳥を!あんなにやさしい可愛らしいものを食べるなんて、なんという残酷な国民でしょう!」

 私は弁解の言葉に窮した。これは、比較宗教思想史の材料になるかもしれない。

竹山道雄『ヨーロッパの旅』
竹山道雄 Michio Takeyama ( From Wikimedia Commons, the free media repository )

日本の捕鯨がよく残酷であると問題視されますが、こういった動物愛護の観点の違いなども文化的に根強くあるように思います。歴史的な経緯はさておき、現在の欧米では鯨は愛玩動物として扱われているのでしょう(なお、日本の捕鯨が伝統的産業というのも誤りです。一定の地域の産業にすぎませんし、今では産業的なインパクトもほとんどありません)。

竹山道雄の例は日本が西洋に出会うシーンですが、西洋が日本に出会うシーンも紹介してみましょう。以下は、日米修好通商条約を結ぶために来日し、長らく日本に滞在したタウンゼント・ハリスの例です。ハリスが日本人通訳に「牛乳が欲しい」と依頼しているのですが、通訳と全く話がかみ合いません。

通訳:牛乳は、国民一切食用致さず、殊に牛は土民ども耕耘、その外(ほか)山野多き土地柄故、運送のため飼ひおき候のみにて、別段繁殖いたし候儀更にこれなく、稀には子牛生まれ候儀これあり候ても、乳汁は全く子牛に与へ、子牛を主に生育いたし候こと故、牛乳を給し候儀一切相成りがたく候間、断りにおよび候。

ハリス:御沙汰の趣承知仕り候。さやう候はば、母牛を相求めたく、私手許にて乳汁を絞り候やうに仕るべく候。

通訳:只今申し入れ候通り、牛は耕耘其外運送のため第一のもの故、土人ども大切にいたし、他人に譲り渡し候儀決して相成りがたく候。(以下略)

ハリス 『日本滞在記』
ダウンゼント・ハリス Townsend Harris ( From Wikimedia Commons, the free media repository )

ハリスは自分で絞ってでも牛乳を飲みたいと陳情しますが、当時の日本人にはその切実さが全く理解できません。牛を労働力にしか見ていない日本人にハリスの思いが通じることはなく、ハリスは食文化の違いに苦しみ続けることになります。

こうした楽しい事例を眺めながらつくづく思うのは、やはり根っこが違うんだよなあ、ということです。民主主義や自由主義、共産主義とかグローバル化などといっても、もともとの発想自体の「生まれ」があるわけで、そこを押さえて理解しなければ表面的な理解にすらならないかもしれません。

昭和の泰斗、安岡正篤は『この国を思う』という文章の中で以下のように言っています。

「技術的経済的発展が益々各国民の差別を無くすればするほど、我々日本人は他国人に比べてどういう特徴を持つか、われわれの独自の特色は何かということを熟考しなければなりません。技術的経済的国際化の過程において、日本の特色を無くすることではなく、日本の特色を国際的発展の内部においても益々力強く発揮することこそ日本にとってのみならず、あらゆる国民にとっても大きな利益であるのであります。」

安岡正篤『この国を思う』

国際化が進むほど、自分と相手の違いを知る必要があるでしょう。そして自分たちが何を大切にし、相手が何を大切にしているのか、その背景は何かを踏まえ、お互いが納得できる解決策を出していかねばなりません。

キプリングは冒頭の詩は以下の言葉で締められています。

「しかし東もなければ西もない、国境も、種族も、素性もない、

二人の強い男が面と向かって立つときは、両者が地球の両端から来たとしても。」

ラドヤード・キプリング「東と西のバラッド」

私たちは異文化と「強い男」として対峙し、互いに尊敬すべき相手として手を取り合わなければいけません。




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