時事

アウシュビッツ解放75周年 ~シュタインマイヤー大統領のスピーチを受けて

2020年2月12日

先日、アウシュビッツ強制収容所解放75周年記念の式典が開かれ、各国のニュースでも大きな話題になっていました。たった75年前にユダヤ人を中心に少なくとも110万人が虐殺されたという衝撃の事実を私たちは忘れることはできません。

「死の門」・アウシュヴィッツ第二強制収容所(ビルケナウ)の鉄道引込線  
Auschwitz-Birkenau main track Source: Author: C.Puisney( CC BY-SA 3.0 )

ドイツのシュタインマイヤー大統領は式典に先立って、エルサレムのホロコースト記念館で演説しました(シュタインマイヤー大統領の演説は冒頭ヘブライ語でなされ、素晴らしいものでした)。

「加害者はドイツ人だった。私は歴史的な罪の重荷を背負ってここに立っている」というときの彼の気持ちはどのようなものなのでしょうか。また同時に、「私たちドイツ人は歴史の教訓から永遠に学んだ、と申し上げられればよかったが、そのように言うことはできないのです」という現状への悲痛なコメントもしており、私たちは今の自分たちの危うい状態というものに再度慄然とさせられます。

第二次大戦という文脈では、日本にも苦い経験があります。日本の有名なコンサルタントである大前研一氏はよく以下のような話をしていました。

「終戦当時、マッカーサーを乗せたミズーリ号が東京湾に入ってきたとき、マッキンゼーの同僚だったデビッド・ハーツ(David B. Hertz)はまさにそこに乗っていたと言っていた。上陸前に『上陸にあたって』という訓示が行われ、今から見るのは世界で最も獰猛な人種、日本人だ、君たちは絶対に1人では歩くな、必ずグループで行動して後ろを固めて動くように、など言われたらしい。ところが言ってみたらニコニコニコニコしてウェルカムばっかりで、あれは何なんだ、どこの国と戦っていたのか分からない、と言っていた。彼はそのあと死ぬまで、私に会うといつもこう言っていた。

『ケン、説明してくれ。あんなやさしい国民で、ニコニコ笑っている国民が、なんであんな戦いができたのか。俺は終戦直後に行ったからよく知っている。AとBは俺の頭の中では全く重ならない』

デビッド・ハーツはユダヤ人だから、ほら、恨みを2000年覚えているような人間にとって、こんなことは全く理解できないようだった。でも我々日本人はみんな理解できるわけだ。『もともと私は戦争反対でした』って戦争が終わった直後にみんな言っているんだから」

大前研一
ミズーリ艦上における降伏文書調印式  出典:Wikipedia パブリック・ドメイン

戦後、2年間ミャンマーの英軍収容所で捕虜として過ごした会田雄次(その後京都大学西洋史教授)も『アーロン収容所』という本で以下のように書いています。たまたま捕虜期間中、イギリス人将校に「日本人はこの敗戦をどう考えているか」「何故簡単に武装解除に応じたのか」と聞かれたときの話です。ある日本人将校が「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。これからは仲良くしたい」といった発言をした際、そのイギリス人が急に居住まいを正して、

「我々は我々の祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどその信念は頼りなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌を取るのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。私たちは日本のサムライたちと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」

会田雄次『アーロン収容所』

と噛んで含めるように言われたと。「相手を勇気づけようとする好意があふれていて、頭が下がる思いであったが、その反面、勝者のご機嫌取りを察知されたことに対する屈辱感というものは何とも言えないものであった」と感じたそうです。

アーロン収容所 出典:Wikipedia パブリック・ドメイン

同様の記述はそこかしこに出てくるもので、一概に全ての日本人がそうではないし、またこのイギリス士官的な発想が一概に良いわけではないという留保を置きながら、

「私たち日本人は、ただ権力者への迎合と物まねと衆愚的行動と器用さだけで生きていく運命を持っているのだろうか。生意気にもそんなことも考えさせる状況であった」

会田雄次『アーロン収容所』

と言う会田を今の日本人は笑えるでしょうか。

ユダヤ人大虐殺という未曾有の殺人を行った首謀者アイヒマンは、裁判で「上から言われたことをしただけ」と話しました。ユダヤ系哲学者のハンナ・アーレントはこのことを「悪の凡庸さ」と名付けました。

「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は「悪の凡庸さ」と名付けました。」

ハンナ・アーレント 『エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』
ハンナ・アーレント Hannah Arendt in 1933  
出典:Wikipedia パブリック・ドメイン

実際、ドイツでもポーランドでも日本でも、誰もがホロコーストを起こしうる中、私たちは常に信念をもって時局と向き合う必要があります。日本には「尋常の心」という言い方がありますが、まさに「常を尋ねる」精神が問われているということです。

シュタインマイヤー大統領は「私たちドイツ人は記憶という営みを行なっているが、時として、現在よりも過去のことの方がよく分かっているようにも思える」と言っています。歴史を振り返ることは現在と未来への道しるべとならなくてはいけません。私たちは歴史に目を向け、そして現在の自分を照らさなければいけないのです。


アーロン収容所 (中公文庫)


エルサレムのアイヒマン

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