人間というのは不思議なもので、好きなことなら難しいことでも進んで行うものです。私の子どもは今5歳になったばかりですが、与えたパソコンに夢中で、必死に本を読みながらプログラミングの練習をしています。それこそふうふう言いながら頭に汗をかいて、パソコンとにらめっこ、寝る時間も惜しんでやっております。
want toに生きるという話はよくするのですが、want toをやれば、自分の最大限をどんどん高めることができ、have toに生きると、やろうとする最小限のことが結果的に自分の最大限になっていきます。
最近現役を引退した野球選手のイチローですが、「高校の時に寮に入っていた三年間、僕は寝る前の十分間素振りをしていました。そしてそれを一年365日、3年間欠かさず続けました。それが僕の誰にも負けないと思える努力です」と言っています。
この話には後日談がありまして、高校時代の先輩によれば、「十分間の素振りね、あれは最低十分だからね。やり続けると1時間でも2時間でもやっていましたよ」とのこと。
熱中するというのはこういうことで、誰にもそれを止めることは出来ません。夢を持ち、自分を鍛錬し、陶冶する。これが時代の変革を支える力になります。
他にも歴史的な事例をいくつか紹介しましょう。
勝海舟は幕末に幕府方の人間として江戸城無血開城を決断した人物ですが、若いころ貧乏だったことで有名です。それでも夢中で勉強し、必死になって学んだ、ということを示す逸話があります。
1847年、勝が25歳の頃、オランダ語の勉強を始めます(兵学を勉強する際、洋書でしか最新の動向が入手できなかったからです)。その頃、『ズーフ・ハルマ』という蘭和辞書があり、欲しくてたまりませんが高額なために貧乏な勝には買えません。
その頃は「夏に蚊帳なく、冬に布団なし。ただ日夜机にもたれかけて眠る。加えて、母は病床にあり、幼い妹たちはまだ分別がつかない状態である。自分から床板を剥ぎ、柱を割いて飯を炊いた」という有様でした。
そんな中でも何とかお金を捻出し、やっとの思いで買いに行ったところ、なんと一足先に売れてしまっていました。諦めきれない勝は、買った人物を探し出し、貸してほしいと頼みます。しかし高額な辞書のこと、貸すにも賃料が必要だといわれます。
仕方がないので勝は借りて筆写することにしましたが、そこは頭の良い人で、2部写して1部を売り、その借用代金に充てました。なお、ズーフ・ハルマは約5万語を蔵する58巻の大部、これを2部、1年がかりで写し切ります。
「困難ここに至って又感激を生じ、一歳中(一年の内に)、二部の謄写成る。」
困難もここに至ってはまた感激を生じてくる。この感激性が尊いと思うのです。そもそも今の時代に辞書を筆写するなどということが(しかも2部!)ありますでしょうか。
同じ幕末でいえば、吉田松陰と共に安政の大獄で倒れた橋本左内は、勉強をしてもしても不甲斐ない自分、軟弱な自分が情けなく、毎晩布団に入ると泣けてきた、と日記に書いています(『啓発録』)。ときに橋本左内14歳の時の日記です。
こうした話は枚挙にいとまなく、いくらでも出すことができます。
単純に努力しよう、継続しよう、と言いたいわけではありません。やるかやらないか、は本人次第、本人の心の感激性次第なのです。好きなことをとことんやる、そこに真剣になること、何をするかを決めるのは結局、自分次第なのです。