ジャン・ジオノの『木を植えた男』という話をご存知でしょうか。
不毛の荒れ地に一人で毎日ドングリを100粒植え、最後には大森林を生み出す羊飼いの話です。
私はアテネ・フランセという学校のサンテティックというコースでフランス語を学んだのですが、最近コースを見たらお試しの短期講習ということで「『木を植えた男』を読む」というものをやっていました。私がサンテティックに通っていた頃はコースの最後に課題文章を丸暗記して全員の前で発表というものがありましたが、第1課程ではサンテグジュペリの『星の王子様』の冒頭、第2課程ではカミュの『異邦人』の冒頭、最後の第3課程ではアルフォンス・ドーデの『アルルの女』という短編小説を全部暗記するという(今思えば)すごいことをやったものです。流石にドーデの小説を暗記したのはその期では私一人でした。
さて、冒頭の『木を植えた男』ですが、男は100粒ずつ、3年かけてまず10万個のドングリの種をまきます。その10万個のうち、2万個が芽を出し、男はその半分が駄目になっても、残りの1万本の柏がこの不毛の土地に根付くようになると考えました。そしてその後も30年以上、羊飼いは毎日ドングリを植え続け、荒地を豊かな森に変えていったということです。
日本にミキモトという真珠販売で世界一の会社がありますが、その創業者、御木本幸吉はこれと同様のことを地で行った人物の一人です。「世界中の女性の首を真珠でしめてごらんにいれます」と明治天皇に述べた御木本の真珠養殖の苦労も並大抵ではありませんでした。
養殖中に英虞湾に発生した赤潮で、二年の歳月と全財産を懸けたアコヤ貝が全滅したことがありました。幸吉はそこで諦めることなく、その翌年、鳥羽の相島(現・ミキモト真珠島)で養殖中の貝から五個の真珠を見つけました。世界で初めて養殖真珠が誕生した瞬間でした。
しかし喜びも束の間、幸吉の最大の理解者であり、幸吉を支え続けた妻うめが32歳の若さで病に倒れました。「子供のことは引き受けた。今後は真珠をつれあいに」と幸吉は心に誓い、さらに研究に邁進します。
半円ではありましたが、宝石としての価値を認めていた幸吉は、裏側を補って半円真珠として売り出し、大好評を博しました。
一方で大きな丸い真珠を求めて研究を重ねますが、またしても赤潮が発生し、養殖中の85万個の貝が全滅します。しかし幸吉は、一つひとつ貝を開いてその中から五個の真円真珠を見つけるのです。
様々な困難に見舞われますが、幸吉は決して悲観することなく、それを逆手にとって活路を見出しました。
「致知」2014年12月号、p.87
御木本幸吉の言葉をいくつか紹介します。
- いままで誰も成功していない仕事こそ、男児一生を懸けるに相応しい
- 十年もかかりたる仕事ゆえ、花の咲き方も大なり
- 悪い案も出せないものによい案が出せるか
あきらめない心、そしてもはや利害を超越した信念に生きる心。西郷隆盛は「人を相手にせず、天を相手にせよ」といいました。そして超越した努力を地道に続けていくことが結果に結びつくという真実。短期的な利益を追求する現代において、時代に流されないための最大のポイントかもしれません。
古の大事を立つる者は、ただ超世の才を有するのみにあらずして、また必ず堅忍不抜の志あり
(昔の大事業を成し遂げる者というのは、ただ才能に恵まれているだけではなく、必ずどんな逆境にも耐え忍びやり抜いてみせるという志があった)
蘇東坡『鼂錯論』
一つに決めたら変えてはいけないということではありませんが、継続を支える信念の力を感じます。大きな目的に生きること、天を相手に生きていきたいものです。